【レポート】音楽の向こうにある響きにふれて

2023年3月27日月曜日

セッション

t f B! P L


3月24日金曜日。岡山県美作市にある「Cafe&kalimba ホシメグリ」にてNiMbUS(ニンバス)のライブを聴きに行きました。岡山県北に住んでいた時に偶然に見つけて興味があったので以前に一度カフェを訪問したことがありました。

その時は、コーヒーとスイーツを楽しみながら、開放的な空間から外の景色を眺めながらカリンバを弾かせて頂いて、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

【きっかけ】

お店の公式instagramでライブがあることを知り「エレクトローカルアンビエント」というコピーとデモ音源を聞いたとき、自分がとても好きな言葉と音だったので興味がとめどなくあふれました。

そしてフライヤーにはライブ後に参加できるセッションのことも書かれており、それは行きたい欲を到底抑えることのできない決定的な動機になりました。

セッションに参加したい旨もお伝えした上で事前に予約をしていざ岡山へ。

【お店】

(最初に訪問した時に撮影 フォルムに特徴がある美しいファサード)

とても個性的で洗練されたお店の外観。白を基調とした外壁とお庭や周囲の緑、植物たちが織りなす風景は個人的に自然との共生を日常の感覚とする近未来のような雰囲気を感じます。

【演奏機材】

NiMbUSはカリンバ、ギター、シンセサイザーの3人組編成。店内の窓際がステージになっている辺りには楽器と機材がたくさんセッティングされていました。


ステージに向かって右側の席に座るとそばにはTeenage EngineeringのOP-1(多分fieldと思われます)、TX-6、Critter and Guitari Organelle(オルガネラ)、エフェクターなどが。シンセに興味がある方なら分かると思いますが、これだけでもすでにワクワク感がありました。そして機材名はおろかメーカーすら知らないコンパクトないわゆるデスクトップタイプのモジュラーシンセがいくつか並んでいたのが衝撃でした。思わず凝視してしまうほどの機材チョイスの威力たるや。。。

モジュラーシンセとカリンバとギターのアンビエント。事前に告知されていたフライヤーには詳細は書かれていなかったので、開演前からどういう音が調和する世界観なのか底なしに想像が掻き立てられ続けました。

開演前にシンセサイザーを担当される尾高さんと少しお話しさせて頂いて、機材のことを伺いました。黒い筐体はラズパイをベースにパッチの変更によってシンセやエフェクターにもなる機材で、木製のモジュラーシンセはいわゆるサーキットベンドをベースにしたノイズに特徴があり荒い音が出せるとのことでした。

面白い機材をネットで日々検索しているので、完全に知らない機材はないと思い混んでいましたが、一度にこれほど珍しい機材を目の当たりにすると、感動すらするものだと思いました。

【開演】

鳥たちの声。那岐山でフィールドレコーディングされた音が聞こえてくると、時間の境い目が淡いままコイケ龍一さんのカリンバ、空間系ギター、穏やかな電子音がゆっくりと重なりあい店内を漂い始めました。

互いに音を主張するのではなく、まるでゆっくりと呼吸をするように音が生まれ、互いに混ざりあい、遠ざかりながら消え去り、また生まれてを繰り返しながら音楽として調和する様子。


(楽譜にある)小節線はにじみながら、やがて消え、3人の音がそれぞれに存在しながら全体に融合していく。

3人が音楽の流れに沿ってエフェクターで音に変化を加えながら、カリンバのコイケさんは時々にヴォーカルを担当し展開をダイナミックにされてました。

【世界観】

抽象的な世界、メロディアスな叙情詩、シンプルで野太い波形がビートを刻む曲など3人の感性がおだやかに融合したアンビエント音楽。いつしか目を閉じて音に身を任せるようにしていると、今いる場所がカフェではなく、空間が広がり続ける宇宙にいたり、果てしなく続く大地に包まれたりするような感覚でした。

音楽がその場の空気を振動させ、それがまるで水に小石を投げ入れた時に起こる波紋のように体からしだいに心を震わせていくような、言語化しにくい状態になりました。

すべての物質の最小単位はひもが振動しているという仮説がありますが、音楽が振動を生み出すのなら、人がそれに共鳴することで感動やたくさんの感情を味わうことができると説明がつくかもしれません。もしそうだとすると、この瞬間に感じた感覚は、僕にとってはある種の野性的なものでした。

【しまわれたもの】

特にカリンバの素朴な響きの連続は、時空を超えて、自分の中にしまわれた存在、それが一体何なのかは説明が難しいですが、自分を形作るものを削ぎ落として最後に残るものに触れたような感覚につながった気がしました。

アンコール前に演奏されたカリンバのコイケさんがヴォーカルも担当された曲も素晴らしく、胸が熱くなり涙をこらえることができませんでした。

【エネルギーの大きさ】

アンサンブルによる生演奏でアンビエント音楽をパフォーマンスすることは、自分が演奏者の立場から見てもとても高度なことなのですが、そこからさらにその空間をその場にいる人が見えているものではなく、まったく別の美しい風景に変えることは、アーティスト自身がもつエネルギーの大きさに関係すると思います。

NiMbUS(ニンバス)の音は、聴く人が単に心地いいだけではなく、その先にある風景やさらにその奥にある感覚に触れるきっかけを与えてくれると思いました。

現実の世界はまるで時間が止まっていて、ライブを聞いている感覚の世界ではおだやかに時間が流れているという不思議な空間を体験できたこと、本当にすばらしい演奏で感動しました。

【即興セッションへと】

ライブの後は、事前に告知されていた自由参加の即興セッションへ。このために持参したキーボードやエフェクターをいそいそとセッティング。他のお客さんもそれぞれ色んなジャンルの楽器を手に準備されていました。

(即興セッション時の自分の機材
KORG microsampler,kaoss pad mini, Avalanche Run,セミーヤ,spark shaker,MACKIEのミキサー)

なんとなく音を鳴らしつつセッションが始まりました。楽器や演奏の上手い下手、それぞれの立場やバックグラウンドは関係なく、ひとつの流れにあわせて演奏。

何か明確な曲や進行があるわけではないのですが、時折音楽になったり、展開ができたりして即興ならではの光景が広がっていました。



【他者と自分】

ひとりが好きな楽器で音を出して、それを聞きながら別の人がまた楽器で音を出す。その時に自分ができることをその楽器で表現してセッションに参加する。

自分が自分で鳴らす音を表現しながら、他者の音を認めて全体の音楽を形作っていく。自分の持つ楽器の音で自分の音を鳴らしつつ、他者がしていることを認めながら響きあう。

リズムが違っていたり、音がズレたり、正しいや間違っているということではなく、それぞれの演奏がそれ自体表現としてありつつ、全体としての響きの一部を自分が担(にな)う。

その人が楽器を奏でる時、そこにはその人の呼吸や鼓動の速さ、生き方、考えていること、経験、意識や無意識、価値観などが作用して音となり、その場を震わせる振動になって全体に伝わり影響を及ぼす。

こういう状態というのは、いわゆる社会のあり方に近いと個人的に思います。しかし、大きく違うのは、リスペクトはあれど、それら人の存在に上下関係がなかったり、他人を支配したり、過度に影響を与えたり、受けようとしたりということが存在しないことだと思います。

自分ができるだけ自分のままでありつつ、他者も同じように存在していて、それをお互いに自然体で認めている状態。

セッション中はキーボードを演奏しながら音楽的にどうしようかなと色々アイデアを考えていたのですが、時間が経つとふとそういうことを考えるようになりました。

【余談】

あくまで個人的に思うことですが、そもそも生き方や考え方に正解や間違いなんてありません。それを決めているのは、自分ではなく外部のあらゆるもので、それにいつしか自分が影響を受けて、自分や他者の生き方、価値観等をジャッジしている。

価値観が全然違っても同じ社会で争うことなく共存できるし、そもそも人が生きるということは、他人とは違うことが前提であり、もしいくつかの価値観に無理に合わしながら生きるのなら、どこかの段階で体調や精神に支障をきたし、生きにくくなると思います。

自分はコロナ禍直前までは、他人よりも度合いは少ないかもしれませんが、いわゆる一般的な価値観に無理にあわして生きてきた面もあるので、その結果、何度か大きく体調を崩したこともありました。

ある時からそれまでの考え方が一変し、これまでの生き方を客観的に見れるようになり体調も安定するようになりました。

「音楽」は心を熱狂させたり、興奮させたり、癒したり、穏やかにしたり寄り添ったりするなど色々な力があります。それに加えて、今回参加させて頂いた即興セッションで気づいたことは、人が人をそのまま認めあうことでした。

そしてそこに「音を楽しむ」ということの本質を垣間見たような気がしました。さらに今後の楽曲作りにおける考え方に、影響を与える出来事になったような気もします。

お読みいただいてありがとうございました。


建水


プロフィール

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横檬 龍彦(ヨコモタツヒコ) 音樂評論家 「すべての作品はそれが存在している時点で評論される価値がある」 世界丸音普及協会理事長 著書「なつかしくてあたらしいひびき」 「まるいおとのつくり方」(絶版) *これはすべてフィクションであり横檬は建水歩星の評論家としての名前である。なお記事内で両者は区別される

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