【お礼】
TINÖRKSの新譜「MORINO HAJIMARI」(森のはじまり)のCDも無事にリリースできて、たくさんの方に購入していただいて本当にうれしいです。
CDより前にリリースしたダブプレートも含めて、ご購入いただきましたみなさま、ありがとうございます。昨今リリースの形態がストリーミング中心になっている中、「モノとしての音楽の価値」を大切にし、それに共感してくれる方々がいらっしゃることにうれしいですし、とても暖かな気持ちになります。
【ストリーミングは最強のツールだけど】
ストリーミングはネットと端末があればどこでもすぐに大量の音楽を聴けるというのが魅力で、場合によっては無料で楽しむことができ、音楽好きにとっては紛れもなく素晴らしいツールです。そして、作り手側のミュージシャンにとってもコストをできるだけ抑えることができるため(初期費用やランニングコストがかからない場合もある)、音楽を作ってリリースすることの敷居がそれ以外のリリース形態に比べて格段に低くなります。
なので、音楽を作る側と聞く側にとってストリーミングは現時点の最強ツールであると言っても過言ではないと思います。
けれど、便利さとコスト削減を最優先にした結果、音楽がミュージシャンによって生み出された「作品」であることを忘れてしまうほど、ストリーミングの音楽には「音」以外の部分がごっそりそぎ落とされているとも感じます。
「音楽」=「音」でしかないと考えるなら、潔(いさぎよ)いのですが、個人的に「もやもやして」個人的にそういう風には割り切れないのです。
【音楽 = 音 + それ以外】
「音楽」と一言で言っても、それは「音」そのものを表しているのではなくて、「音」と「それ以外」の要素が合わさって構成されています。そして、実の所、「それ以外」の要素が「音」をリスナーに伝える上で、すごく重要になっています。
「それ以外」の要素というのは、ここでは例えば歌詞やジャケットデザイン(アートワーク)、パッケージ、ビジュアル、CD、レコード、カセットテープ、ダウンロードカードなど、「音楽」をモノとして考えた場合に必要な部品のことを指します。もっと言うと、ライブパフォーマンス、言葉、曲解説、販売方法、宣伝の仕方なども「それ以外」に含まれています。
誤解を恐れずに言うと、表面的には「それ以外」の要素が、メインである「音」を補完しているように見えますが、本当は逆で、「音」が「それ以外」の要素を補完している場合もあると個人的に思っています。
作り手が「音楽」を聴いてくれる人に「伝える」場合、「音」と「それ以外」の親和性(相乗効果のようなもの)のエネルギーの質と量によって、リスナーの心に響いたり、伝わったりすると思っています(あくまで個人的見解)。
分かりやすく言うと、「音楽」だけを聴いて、その時の感想としては、良いんだけどそれほど心に響かなかったが、その曲を作っているアーティストのライブを見た後に、もう一度同じ音楽を聴くと、以前とまったく違うように聴こえる(心に響く)とかです。
「音」だけでは伝えきれないので、ライブパフォーマンスを体験してもらうことによって、「音」に「それ以外」の要素を組み合わせて「音楽」にしてリスナーに伝える。大げさに言うとライブはミュージシャンの人生が「音」になってその瞬間に凝縮して響いているので「情報量」がものすごく多い。(感情を揺さぶられる要素がある)
つまりミュージシャンは「表現したいこと」をリスナーに伝えるために「音」という手段を使っているにすぎない。「音」が「表現したいこと(音以外の部分)」を補完しているとも考えられます。
あくまでも、メインは「表現したいこと」であり、「音」そのものではないということ。
【音楽以外でも当てはまること】
音楽以外にも同じことが当てはまると考えます。
例えば、料理だと音楽の場合の「音」が「味」だとすると、「それ以外」の要素は「食材の色」だったり、「盛り付け」、「お皿のデザイン」、店の場合は「インテリア、エクステリア」、「立地」などが該当します。
絵画だと「音」に当たるのが「絵そのもの」だとすると、「それ以外」の要素は「キャンバスの大きさ」だったり、「キャンバスの材質」、「額縁」、「展示の際の照明、明るさ」、「作者の言葉」、もっと言うと「作者の生い立ち」などが該当すると思います。
音楽も料理も絵画もきっと他のすべてのことも、まず「表現したいこと」があって、それを伝えるために「何かで補完する」という構図。
そして最も重要なことは、「表現したいこと」を伝えるべき人に「伝えた」後、その人にどうなって欲しいのかだと思います。
【パッケージ】
CDより先にリリースしたレコードは、盤の溝を針がなぞることによって生じる振動を拡大して音にしてリスナーに伝えてくれます。
レコードをプレーヤーにセットして、針をのせて、円盤が回転して、イントロ前のレコードノイズが鳴って、いよいよ曲が「はじまる」…という風に、音楽を聴く行為自体に音楽の面白さがあります。くわえて、プレスした通常のレコードではなく、一枚一枚職人さんがレコードを直接削るダイレクトカッティングで製作したので、「音」以外にレコードができる過程を想像することの面白さもあります。
レコードに同封される歌詞カードはレコードに合わせて少し大きめの148mmの正方形、紙厚を硬くせず、綴じ方は土色の紐の中綴じにすることで柔らかさの意味を込めました。
【一方、CDはどうか】
大抵の人はCDをパソコンなりに取り込んで携帯プレーヤーなりで聞くと思います。もちろんCDプレーヤーで聴く人もいると思いますが。個人的にCDは手軽さと音質の良さに魅力を感じていますが、リスニング行為自体に面白さはあまり感じていません。
今回、CDでリリースするにあたって、歌詞カードやパッケージをどうするか正直とても悩みました。
CDの中に入っている「データ」(音)をどうしたら「森のはじまりの世界観」として聴いてくれる方に伝えることができるのか。
CDはレコードと違って「聴く行為」自体に面白さがない。だとすれば、そこをまず改善すればいいのではないかと思いました。
【質感を与える】
土に蒔(ま)いた種がやがて芽をだして成長していくその最初の「はじまり」をパッケージに表現できないかを考えていた所、土色の箱にCDを入れることによって、「箱を開ける=音楽をはじめる」というアイデアを思いつきました。
そして箱の表面に活版印刷でバンドロゴとアルバム名を表記することで、手で触った時に活版印刷特有の凸凹(でこぼこ)の質感、暖かみ、立体感を体感してもらうことで、その後、音楽を聴く時にもその感覚が残ったままになるのではないかなと思いました。
つまり、無味乾燥なコンパクトディスクに保存された音楽に「何らかの質感」を与えようと思ったのです。
箱の中に商品を保護するための緩衝材(かんしょうざい)を入れる必要があったため、その緩衝材を藁(わら)に見立てた紙パッキンにすると、箱を開けてCDを取り出す際に、部屋にいながらにしてまるで土の上に自分がいるかのような感覚を体験できるのではないかなと考えました。
そして歌詞カードには、鉛筆で描いた種のイラスト(自筆)を入れることによって、「箱の中」=「土の中」に種を植えることを表現できるかもしれないと。
歌詞カードは、レコードの時とは対照的に紙厚を厚くしたものを採用しました。キービジュアルとなる大台が原の写真を楽曲にあわせて質感調整し24ページで構成されるブックレットにしました。
そうした意図は、収録曲の世界観を視覚的にも伝えることで、音楽を聴いてもらう時に頭の中に広がる「イメージの方向」をそれとなく導くためです。
この時点で重要なのは「箱を開けてはじまる体験」であったり、「土の上にいるような感覚」、「活版印刷の手触り感」、「大台ケ原の風景をもとにした世界観」であり、「音」がそれらの要素と結びついた時にようやく「音楽」へと進化して、聴いていただく方に伝わるのではないかなということを意図しています。
そして、音楽を通して「音楽」すらも通り越して心の中に自分が大切にする「もう一つの世界」が広がっていき、毎日が豊かになっていくというのが、個人的には理想です。
【形ある音楽】
音楽というのは形がないものだからこそ、形あるものにして届ける意味もあるのではないかなと思います。
自分が大切にしていることを、「音」を使って届けられるようにこれからも「音楽」を続けて行ければと思っています。
いつも応援していただいている方々に心から感謝しています。
次の作品は自分の環境が変わってからになりますが、きっと良い作品をリリースできると思っています。
もうすぐ4月ですね。それぞれの「はじまり」に乾杯
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
ほせい
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